ネガティブは優先されるべきなのかもしれない。生き物として。

こんにちは、スリカタです。

 

 

今回のお話は、生き物ってネガティブであるべきなんじゃないの?というお話。

 

 

人は基本的に1万円もらった時の喜びよりも、1万円を無くした時の悲しみの方が大きいそうだ。

金額的には同じ1万円なのに。

 

これは「損失回避性」という人間に備わっている考え方のクセで、

同じ程度の損得を受けたら、得よりも損の方がショックが大きいのだそう。

 

ある人は、生き物は得を受けたら生活が豊かになるだけだが、損を受けると最悪死んでしまうから、損の方に注目するのではとおっしゃっていた。

 

確かにそうだ。なくてもどうにかなる得より、死んでしまう損の方を気にするべきだ。

理にかなっている。

 

 

それはネガティブにも通じるのではないかと思ったのだ。

他のブログ記事からもお気づきかもしれないが、僕はネガティブな方だ。

そんな僕は損失回避性のお話を聞いて、水を得た魚のように、ネガティブもそれじゃん!と正当化し始めたわけだ。

 

だってそうだろう、根拠のないネガティブは違うかもしれないが、少なくとも根拠のあるネガティブは損失回避性と似たような部分がある。

 

生き物として避けなければいけない「死」を避けるべく、慎重になっているのだ。

 

 

どうだろう、違うかな。

500文字もつらつらと書いておいて、今更になって違う気もしてきた。

 

でもネガティブに対してネガティブになるくらいなら、これくらいの方が良い気もする。

ゆるーく行こう。ゆるーく。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

ではまた。