おはようございます、スリカタです。
きちんとやることをやっているのにも関わらず、謎の焦燥感に追われています。
今年は就職活動という一大イベントの年なのでそれも関係しているのかもしれません。
なんにせよ、やるべきことをしてるのに暇を感じないというのはとても厄介なものです。
私もかもしれないと思った方々、一緒に頑張りましょうね。
今日も一日やったりましょう。
おはようございます、スリカタです。
きちんとやることをやっているのにも関わらず、謎の焦燥感に追われています。
今年は就職活動という一大イベントの年なのでそれも関係しているのかもしれません。
なんにせよ、やるべきことをしてるのに暇を感じないというのはとても厄介なものです。
私もかもしれないと思った方々、一緒に頑張りましょうね。
今日も一日やったりましょう。
こんにちは、スリカタです。
私の家族は弟と、父と母の4人家族です。
弟は高校生になり、私も大学3年になったので、小学生の時などに比べてどうしても家族4人が全員そろって晩御飯を食べるということが少なくなりました。
僕も弟もバラバラで食べることをあまり気にしていないのですが、
全員そろって食事をするとき、母が特に嬉しそうにします。
僕の家ではお母さんが専業主婦をしてくれているので、自分の料理をみんなで食べられることであったり、愛情を注いでいる子供と一緒に食べられるというのはうれしいことなんだろうと考えていました。
しかしふと考えてみると、アルバイトなどを除くと僕も弟も、家族バラバラで食べるというタイミングは友達であったり知人であったりとご飯を食べる時だと思います。
お父さんにしても仕事で帰りが遅くなる時を除くと、会社の同僚であったり友人、知人とご飯を食べる時だと思います。
そんな他の3人が誰かと食事をしているとき、お母さんはそんな楽しいイベントがあるわけでもなく、誰かの欠けた食卓でご飯を食べているのだなと気づきました。
お母さんに掛けている負担と、自分の考えの至らなさを再認識しました。
これからは今まで以上にみんなといる時間を大事にしたいと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた。
こんにちは、スリカタです。
「日本語は美しい言葉」ということがよく言われますよね。
木漏れ日という言葉も英語で表そうとすると文章になってしまうようです。
なのでカラオケ(karaoke)と同様「komorebi」としても知られているみたいです。
私も日本語はとても美しい言語だと感じます。
一つの言葉に沢山の意味が込められていたり、
それこそ木漏れ日のような何とも言えない感情を生み出すものも言語化がされています。
美しい日本語を読むことはあっても、美しい日本語を書くことは難しいので、精進していきたいです。
そして美しいと同時に「想像力の広がる言葉」だとも思います。
私の好きなアーティストのVaundyさんは、全てを説明しきることのない歌詞を書くように心掛けているそうです。
完ぺきに描写された世界を想像するのではなく、最後の一ピースに自分なりの答えを探して、想像を働かせてほしいのだとおっしゃっていました。
そのアーティストさんの世界が穴抜けなく描かれいる作品を楽しむのも良いですが、
Vaundyさんの作品の様に自分なりの答えを出すというのもいいですね。
豊かな想像力を持って、そのような余白を楽しめるようになりたいものです。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた。
こんにちは、スリカタです。
みなさんは朝型人間ですか?夜型人間ですか?
僕は朝から動くと良いスタートを切れることは分かってはいるのだが、どうにも起きることができないです。僕の父は完ぺきな夜型人間で2時や3時まで起きていたりします。
僕的には街に出かけるとお店も空いている午前から活動できる方が勝手が良いし、騒音などにも気を配るため大変じゃないかと思うけど、夜型生活を送っている人たちは確かに存在する。
それに朝型・夜型は遺伝子的決まるということがすでに分かっているそうです。
そもそもお店云々などの世界で人間が生きるようになってから、まだ3000年も経っていない。
じゃあ動物としての人間という見方をすると、夜型人間はどういうものなのだろう。
これには「絶滅しないため」という大事な意味があるんじゃないかというお話を聞いたことがあります。。
種族全体が同じ生活リズムで生活するとどうなるか。
全員が朝に起き、全員が昼に活動し、全員が夜に眠る。そして、全員が朝まで無防備になる。
これは致命的です。
同じ生活をしていると、最悪の場合、一つの出来事で一気に全滅してしまう可能性が出てくる。
だから完ぺきな夜型とは言わないまでも、個体によって生活リズムが少しずつ違うようになっているんだそうな。
今回は夜型は自然を生き抜くうえで大事な要素らしいというお話でした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ではまた。
こんにちは、スリカタです。
最近読んだ小説に「学習とは想起である」 という言葉が書かれていた。
つまり勉強とは思い出すこと。確かにそうだ。
ちなみにこの言葉はプラトンの引用だそうだ。(つまりこの記事は引用の引用)
プラトンは自身の哲学についての話のなかでこのことが述べられていたそうだが、
その哲学(想起説)の方は読んでみても分からなかった。難しい。
思えばこの言葉を見つけたときに読んでいた本も、話の流れを説明してと言われるとできる自信はないし、
映画を観終わった後も出てくる感想は「面白かった」「かっこよかった」などだ。
僕の記憶は次から次へとこぼれ落ちてしまうらしい。
絶対に全てを経験することはできない量の娯楽が存在するこの現代で、感じたもの・受け取ったものを振り返るという行動はなかなか取らないのではないだろうか。
学習が想起だとすれば、思い出も想起で考え事も想起だ。
どうせ全てを追うことはできないのなら、急いで色々な情報を追うのではなく
落ち着いて、ゆっくりと生活を送るというのも悪くない気がする。
少しの時間が空いた時にSNSを見るのも良いが、昨日のお出かけのことを思い出したり、逆に明日の楽しみについて何をしようと考えを膨らませるのも良いだろう。
選択肢の一つとしてどうだろうか。
電車の待ち時間など暇なときに、こんな記事を読んだなと思い出して欲しい。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた。
こんにちは、スリカタです。
散歩してるときにふと顔をあげてみると
何百回と歩いたはずの道の先には、僕の大好きな秋の山々がそびえる景色が広がっていた。
そうなの?こんな綺麗な風景が顔を上げるだけで見えたの?
3年目で初めて気づいた。
驚くと同時に僕は近くしか見ない生活を送っているんだなと知った
思えば今日で一番遠くを見たのは、次の電車の時刻を知るために見た電光掲示板な気がする。
あとは本を読んだり、スマホを見たり、手を洗ったり、手の長さの範囲内くらいしか見ていない気がする。
今この文章を書いているときの画面もそうだ。余裕で画面に手が届く。
あまり運動をしないと、筋力は落ちていく。鍛えると筋力が上がる。
少ない量の食事しかしないと、胃(食力?)は小さくなる。いっぱい食べるといっぱい食べられるようになる。
それは視力も同じなんじゃないだろうか。
もちろん避けようのない視力の低下もあると思う。
しかし、いっぱい食べて胃を大きくできるみたいに、遠くを見る楽しみをみつけられると、視力も少しは上がるんじゃないかなと。
逆に少ない量しか食べないと胃が小さくなるみたいに、遠くをみる習慣がない僕の体は、視力いらないやっていう判断をするのも仕方がないよなあと。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
街の風景も綺麗ですよ。
ぜひ移動中にでも顔を上げてきょろきょろしてみてください。
ではまた。
こんにちは、スリカタです。
今回のお話は、生き物ってネガティブであるべきなんじゃないの?というお話。
人は基本的に1万円もらった時の喜びよりも、1万円を無くした時の悲しみの方が大きいそうだ。
金額的には同じ1万円なのに。
これは「損失回避性」という人間に備わっている考え方のクセで、
同じ程度の損得を受けたら、得よりも損の方がショックが大きいのだそう。
ある人は、生き物は得を受けたら生活が豊かになるだけだが、損を受けると最悪死んでしまうから、損の方に注目するのではとおっしゃっていた。
確かにそうだ。なくてもどうにかなる得より、死んでしまう損の方を気にするべきだ。
理にかなっている。
それはネガティブにも通じるのではないかと思ったのだ。
他のブログ記事からもお気づきかもしれないが、僕はネガティブな方だ。
そんな僕は損失回避性のお話を聞いて、水を得た魚のように、ネガティブもそれじゃん!と正当化し始めたわけだ。
だってそうだろう、根拠のないネガティブは違うかもしれないが、少なくとも根拠のあるネガティブは損失回避性と似たような部分がある。
生き物として避けなければいけない「死」を避けるべく、慎重になっているのだ。
どうだろう、違うかな。
500文字もつらつらと書いておいて、今更になって違う気もしてきた。
でもネガティブに対してネガティブになるくらいなら、これくらいの方が良い気もする。
ゆるーく行こう。ゆるーく。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた。