こんにちは、スリカタです。
最近読んだ小説に「学習とは想起である」 という言葉が書かれていた。
つまり勉強とは思い出すこと。確かにそうだ。
ちなみにこの言葉はプラトンの引用だそうだ。(つまりこの記事は引用の引用)
プラトンは自身の哲学についての話のなかでこのことが述べられていたそうだが、
その哲学(想起説)の方は読んでみても分からなかった。難しい。
思えばこの言葉を見つけたときに読んでいた本も、話の流れを説明してと言われるとできる自信はないし、
映画を観終わった後も出てくる感想は「面白かった」「かっこよかった」などだ。
僕の記憶は次から次へとこぼれ落ちてしまうらしい。
絶対に全てを経験することはできない量の娯楽が存在するこの現代で、感じたもの・受け取ったものを振り返るという行動はなかなか取らないのではないだろうか。
学習が想起だとすれば、思い出も想起で考え事も想起だ。
どうせ全てを追うことはできないのなら、急いで色々な情報を追うのではなく
落ち着いて、ゆっくりと生活を送るというのも悪くない気がする。
少しの時間が空いた時にSNSを見るのも良いが、昨日のお出かけのことを思い出したり、逆に明日の楽しみについて何をしようと考えを膨らませるのも良いだろう。
選択肢の一つとしてどうだろうか。
電車の待ち時間など暇なときに、こんな記事を読んだなと思い出して欲しい。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた。