経済学を学ぶと頭痛が痛い

こんにちは、スリカタです。

 

 

今まで(と言ってもまだ2件)の話以上に今回の話はほとんどの人には刺さらない話だろうと思うが、僕と同じツボの人間もいると信じて書いていくことにする。

 

 

僕は大学で経済学部に所属している。

経済学を学んでいる。

 

しかし、経済学を学ぶという言い方は果たして正しいのだろうか。

頭痛が痛いのように、表現が被ってしまってはいないだろうか。

そんなことをふと考えた。

 

するとどのような言い方が正しいのか。

「経済学をしています。」はどうだろう。

良い。とても良い。

意味の被りもないし、なんだか知的な雰囲気さえ感じる言い回しだ。かっこいい。

 

そんなことを思いながら散歩していましたというお話です。

 

 

今回の話が面白いと思ってくれたそこのあなた。

おそらくあなたは僕とツボが同じ位置についています。

それが誉め言葉かどうかは置いておいて。

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

みなさんも日常の中に転がっている揚げ足を取って、一人満足しながら過ごしてみてください。

 

ではまた。

一か八かの自制心

こんにちは、スリカタです。

 

みなさんもYouTubeTikTokを覗いていますか?

僕は一度ああいうものを見始めると数分では収まりがつかず、只々画面をスクロールするだけの機会に変り果てる。

 

しかもあれだけの時間を使って動画を見続けたにも関わらず、内容を全くと言っていい程覚えてないのだから不思議な話だ。

 

見るのをやめるタイミングも、満足してやめるんじゃなくて「いい加減にやめないと、、、」と渋々アプリを閉じることになる。怖い。

 

今回の題からかなり逸れている気も、逸れていない気もする。

軌道修正と行こう。

 

今回は「自制心が働くタイミングって難しいよね」というお話です。

 

僕はギャンブルもタバコもやらないのだが、それは嫌いだからやらないのではなく、ハマっちゃう未来しか見えないからやらないだけなのだ。

 

やることがあるのにYouTubeショートを延々と見続けてしまう僕の自制心なんて到底信用できない。

 

「人を楽しませるために作られた物が楽しくないわけないじゃないか」という言い訳もあるにはあるのですが(それを楽しむのとのめり込むのでは意味合いが違うので正しい言い訳にはなっていない)。

 

信用してやってはどうか。という声が聞こえてきそうな気もするが、自制心とは厄介なもので、実際にそいつが働くかどうかは少なくとも底なしの沼に片足を突っ込んでみないと分からない訳だ。やってみないと分からない。

 

もし自制心さんが問題なく働いてくれたらハッピーエンド、楽しくない訳がない物を適度に楽しむことができる。

しかし自制心さんがお休みされていた場合は、次の瞬間から底なし沼の中で気持ちよさそうに溺れていることだろう。

そんな危ない橋を渡ることができるだろうか。

 

自制心さん、どうか規則正しい生活を送れるくらいには育って頂けると助かります。

 

今回はそんな「自制心の働くタイミング難しすぎ問題」でした。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

ではまた。

朝風呂とかいうユートピア

初めまして、スリカタと申します。

 

一日を通して寒くて暑い日が続いているが、少なくとも朝と夜は肌寒くなる。

 

そんな朝に寝ぼけ眼を閉じたまま、ぬるま湯で顔をざぶざぶと洗っていたら心地よく、そのままシャワーを浴びて、湯舟にも浸かりたくなってくる。

 

現実としてはそんな余裕が朝にあるはずもなく、急ぎ足で洗顔と歯磨きを済ませると、朝食も半分に家を出ることになるのだが。

 

今日の夜はゆっくりとお風呂に入って一息つこうという楽しみの下、一日頑張りたいと思う。

 

こんな寒暖差のある日が続いていると体調を崩してしまいそうになりますが、どうかお体に気を付けてお過ごしください。

 

ではまた。